2024年のダカールラリーに挑戦してきた池町佳生が、ベテランならではの安定感でサウジアラビアのダカールラリーを完走した
ポケットに秘められた、友人と共に
三橋淳、風間晋之介らが南米ダカールラリーを完走し、その舞台をサウジアラビアに移して以来、オートバイでダカールラリーに挑戦するライダーはいなかったのだが、今年のダカールラリーにはレジェンドの池町佳生が参戦。ラリーレイドライダーとしてのキャリアの最後にダカールを走っておきたい、という池町の想いが成し遂げられることになった。
池町はダカールに再び挑戦するという目標を立ててから、ライダーとしての活動を再開。それまで心血を注いできた会社を退職し、動きやすいフリーランスへ転身。経済面や、体力面など含めてこのダカール参戦に集中してきた。「体力的にも、そろそろ最後。だったらダカールに、それもバイクで出たい」と池町はスタート前に語った。
レース中は毎日声の張りが衰えること無く、ショートインタビューに応える池町。ときおり笑い話や苦労話など、レポートに掲載できないようなエピソードを混ぜてくるほどに、心に余裕があるようだった。レストデイ以降、だいぶ体力が辛いと嘆くものの、最終日までその余裕を失わず、走り続けた。語り口はいつも楽しそうで、最後のダカールを心ゆくまで堪能しているようだった。
「やっと終わりましたね。今日はさすがにキャンプではなくて宿に入っていて、明日のお昼過ぎには飛行機に乗ります。ダカールの撤収って、みんな早いんですよ(笑)。
最終日もすんなり終わらせてくれなくて、長い砂のセクションや、ガレの上りがあったりして、気を抜いたらクラッシュしてしまうようなものでしたね。面倒くさい路面がやっぱり多くて、最後の最後だけ気持ちよく走れました。至る所に石が埋まっていて、いつでもミスしてリタイアしてしまう可能性がある。連日に比べて175kmと短いステージだったんですが、普通に考えたらダートを175kmって長いじゃないですか(笑)。普通最終日は50kmくらいじゃない? なんで175kmもあんのかな、と思いながら走ってましたもん。この最終日に象徴されていましたけど、毎日バイクも身体もリフレッシュできるけど、毎日しっかりタイムを競う競技をする、そういうレースになったなと思いました。昔とは違いますね。
昔ダカールに出ていた頃と違って、今は競技期間中もスマホを持っていて日本のみんなのメッセージがいつも届くし、連絡もできるじゃないですか。とてもみなさんの応援が力になりましたよ。
それと、亡くなった友人のメカニック幸繁くんの骨をポケットに入れて走ったんですが、最後のゴール地はラックローズ(セネガルのダカールにある海岸。パリ=ダカール時代のゴール地)によく似ていたのもあって、散骨してきました。これで、完結したなって思いました。僕のラリーレイド人生、海外の大きな大会に出る生活は終わりです。石原裕次郎じゃないけど、我が人生に悔いなしですよ。海外の友人は多いので、See you next yearって声かけられたりもするんだけどね。次来るとしたら、選手では無く誰かのサポートとかだなと。
これで完走できなかったら、また来なきゃいけないところでしたよ! 毎朝2時間前に起きて、ご飯食べて、バイクに乗る準備するじゃないですか。はああ、また走らなきゃいけないのか、って思ってました。あのね、100km/h以上のスピード域でタイヤ弾かれてぶっとびそうになること10回や20回じゃないんですよ。たぶん100回くらい弾かれてる。そのままぶっ飛んでもおかしくないわけですよ。あっぶなー! ってそのたび思うんです。だからずーっと構えて乗ってなくちゃいけなくて、キャメルバッグのホースを手にすることすら憚れるほどなんですよ。
ほんと、やり切りましたんで、悔いは無いです」