ルーマニアで開催される世界一タフなハードエンデューロレース「ルーマニアクス」に日本人5人が参戦。ゴールドクラスに山本礼人、佐々木文豊、ブロンズクラスに横田悠、岡庭大輔、奥卓也がエントリーしている。Off1.jpでは現地同行取材を敢行し、その様子をリアルにお知らせしていく
ついにたどり着いた最終日
4日間の走行時間は24時間超え
レースはいよいよ最終日、DAY4を迎えた。生き残っているブロンズクラスの3人のライダーは全員が疲労困憊。表情は厳しく、口を開けば「やばい」や「疲れた」と虚に呟くのみ。とはいえここまで全員が無事にレースを継続できているのは、さすがそれぞれ日本でハードエンデューロをはじめとしてレース経験を豊富に積んできた3人だからだと言えるだろう。
岡庭はDAY3の終盤でGPS機器を破損してしまい、タイムアウトを喫したが、ルーマニアクスのルールとして1日だけならタイムアウトしてもレースが継続でき、ペナルティはつくもののリザルトもちゃんと残る。最終日は既にリタイアしている佐々木のGPS機器を借りて出走した。
DAY4は再びシビウから出発。ホテルから車でクロスパワーレーシングのベースへ移動し、バイクに乗ってレースのパドックへ行き、そこでGPSを受け取り、今日のスタート地点まで自走する。このルーチンをこなすために、レーススタートは8時くらいでも実際は4〜5時起きという過酷なスケジュールが連日続いてきた。
ルーマニアクスはラリー形式を取っているため、レース中にCP(チェックポイント)がいくつも存在する。その中にはTP(タンクポイント)やSP(サービスポイント)が含まれており、TPでは給油やゴーグルの交換(100%のゴーグルが毎日無料で支給される)、SPではマシンの修理などを含むチームのサービスを受けることができる。
クロスパワーレーシングがこれらのサポートも行ってくれており、ライダーはSPにつくと椅子に座らされ、大勢のスタッフがマシンのメンテをしてくれる。「DAY3くらいからは、ひたすら『SPはまだか?』と、そればっかり考えながら走っていましたね」とライダーたちは振り返った。
CP2を抜け、谷から山岳エリアに入った奥。
奥に続いてすぐに横田も現れた。
スタート時間が違うため、岡庭はそれから1時間ほど遅れて登場。
水没の恐怖を乗り越えろ
アスレチックのようなシーソー橋
それからまた山の中を登って、降りる。最後のゴール地点は今いる山からシビウの街を挟んで反対側に位置するため、終盤はシビウの街中を走ることになるのだが、なんとそこに待っていたのが、このセクション。
橋の一部が稼働するシーソー橋だ。一つ目のシーソーに乗って真ん中より少し先まで進むとシーソーが倒れて真ん中の橋に乗ることができ、二つ目のシーソーも同様に倒れ、対岸に辿りつくことができる。この橋で難しいのは二つ目のシーソーに乗る時のアクセル操作だ。真ん中の橋は川の水で濡れており、滑りやすい。そこでラフなアクセル操作をしてしまうとリアタイヤが滑って二つ目のシーソーの途中で橋から落ちてしまうのだ。
理屈はわかるのだが、100km以上ハードエンデューロを走った後、もうすぐゴールだ、と思っていたところにコレが現れたら、どうだろう。何人ものライダーがこの橋の手前で止まりスタッフに「なんだこれは! どうやって渡るんだ!?」と絶望していた。
ここでいくつか、衝撃的な失敗例を紹介しよう。
到着した時に先に挑戦しているライダーがいて、その成功例を見ることができれば、まだいい。誰もいない時にこの橋に1人で着いてしまったライダーは、かなり慎重になる。そして恐怖したまま挑むと、たいていこうなるのだった。
トップライダーは二つ目のシーソーが岸に倒れる前にジャンプしてクリア。タイム争いをしているのだから、ゆっくりと橋が傾くのを待っている暇はない。写真はマニー。
なお、この橋は本当に市街地の真ん中にあり、橋(一般公道の歩行者用)の上から多くの観客が観戦していて、川に落ちたライダーは無残にも子供たちに爆笑される。しかしそこから生還すると、大歓声と拍手で迎えられ、すべては報われるのだ。
奥はこのシーソー橋を慎重ながらも難なくクリア。横田は最後の着地で転倒しつつも無事こなし、岡庭も問題なく通過した。
そしてここを通過すると、もうフィニッシュは目の前だ。
ここはエンデューロ天国なのか
大観衆が見守るフィニッシュヒル
シーソー橋から車で10分ほど走ると、ルーマニアクス名物のフィニッシュヒルに着く。はずだったのだが、ゴールを見届けようと観客が車やバイクで詰めかけており、大渋滞が発生。取材班は途中で車を置いて歩いていったため、予定より到着が遅れてしまった。
すると奥、横田はすでにゴールしており、満面の笑みで迎えてくれた。
ほどなくして岡庭も到着。フィニッシュヒルに挑む。ここは助走地点から上までずっとフカフカのサンドで、見た目よりもかなり難しい。途中には何カ所か段差もあり、トラクションを失って失速してしまう場面もある。
ゴールドクラスは直登が求められるが、シルバー以下のクラスはクラスごとに、途中で左右に逃げて登れるエスケープラインが設定されており、岡庭も3度ほど直登を試みたものの、達成できず、最後には6割ほど登ったところで右に迂回して登っていった。
その後は登った山を下り、また登り、なかなか終わらない。そしていよいよ最後のセクションとなるのが、こちら。
ラインは大きく分けて4つ。写真の一番右端から、沼を避けてのろのろと走るイージーライン。ジャンプ台を使って華麗に沼を飛び越えるジャンプライン。そして落ちたら泥沼という一本橋ラインが2本だ。
岡庭がここに辿り着くと、その水玉ウエアもあって多くの観客が注目し、歓声が送られた。イージーラインを行こうとしていた岡庭はそこで思いとどまり、なんと第5のラインと言える「沼に突っ込むライン」を選択する。
実際、この沼は自然にできたものではなく急造の人工沼だったため、底の地面は硬く、ハマるようなものではなかったらしい。しかし見えないワダチにタイヤを取られ、最後に転倒したものの、見事に沼を突っ切った岡庭の漢気に大歓声が送られた。
そして、フィニッシュ!
今年のルーマニアクスを制したのはジャービス。ちょうど取材半が到着した時にはチームによるお祝いセレモニーが行われていたのでその嬉しそうな様子をシェア。
見ていただければ分かる通り、フィニッシュ地点は完全にお祭り騒ぎ。ゴールしたライダーを讃える仲間たち、トップライダーにサインをねだるファン、フィニッシュヒルに挑むライダーを応援する大勢の観客たちでごった返している。いちエンデューロファンとしてこの中にいられるということだけで、胸が熱くなってくる。
旅の終わりーすべてが報われる瞬間ー
こうして、羽田空港を旅立ってから一週間にも及ぶ長い長いルーマニアクスへの挑戦は終わりを告げた。
Red Bull Romaniacs 2022 Gold
Rank30 #24 Ayato Yamamoto(山本礼人)
Red Bull Romaniacs 2022 Gold
Rank31 #25 Ayato Sasaki(佐々木文豊)
ゴールドクラスにエントリーした山本礼人、佐々木文豊は共にDAY2にてレースをリタイア。ゴールドクラスの難易度、世界トップライダーのスキルの高さを改めて痛感する結果となった。
「セクションが難しいのはもちろんなんですけど、とにかくリスクが大きすぎるんです。万が一失敗したら命を落とす可能性があるセクションの連続で、絶対に失敗しない精度が求められます。そこで恐怖に負けて安全策を選んでしまうと、タイム設定に全然間に合わない」というのが山本の見解だ。
ブロンズクラスにエントリーした奥卓也、横田悠、岡庭大輔の3人は見事、完走。
Red Bull Romaniacs 2022 Bronze Finisher
Total Time 24h38m54s Rank111 #475 Takuya Oku(奥卓也)
奥卓也
「ブロンズのコース難易度は自分の想像通りでしたね。これに向けて練習してきたものがきちんと生かされたと思っています。日本のレースで一番ルーマニアクスに近いのはおそらくCGCのナイトエンデューロなんですよ。そこをもう1〜2個上のギアで走る感じ。多かったのは3,4,5速ですね。停まらずに延々と難所を走り続ける練習が大切です。実は今年はほとんどハード系の練習はしてないんですよ。池の平ワンダーランド(愛知県)を長時間走り続ける練習とかがメインで、それがばっちりハマりましたね。
Sea To Skyは最終日の終盤セクションだけ急に難易度が上がるのですが、それ以外はそこまでではなく、ルーマニアクスのブロンズはこれと難易度が近いと感じました。ただルーマニアクスの方が距離と時間が長いので、ずっとプッシュしてるのがきついです。筋肉痛もそうなんですけど、関節がめちゃくちゃ痛くなっちゃって。僕の場合は肘がすごく痛くて、最終日はレース中にロキソニンを4錠飲んで、痛みをごまかしながら走っていました。日本では肘が痛くなったことなんて一回もないんですよ。
今までTKOやSea To Sky、サハリンを始め様々な海外レースに出場してきましたが、ルーマニアクスが最も競技性を感じました。特に渋滞がほとんどなかったのが一番良かったですね。僕はもうほとんど1人旅で、助けたり助けられたりっていうのは最終日に一回あっただけで、ずっとスムーズに走っている感じでしたね。ルーマニアクスは競技志向の強いライダーにオススメで、エンジョイしたい人はSea To Skyがいいと思います。ただ、ルーマニアクスの良い点はゴールドクラスのライダーと一緒に走れるところですね。途中でコースが重なるのですが、向こうはこっちに比べて難しいところを走ってきてるので、タイミングが被るんですよ。後ろから速いライダーの音が聞こえてきて確認したらタディだったので、すぐ横に避けて『ヘイ、タディ!』って声かけたらニコッとしてくれました。
本当は順位的にはもう少し上位に入れると思っていたのですが、ブロンズやアイアンのような下位クラスでもその上位陣はめちゃくちゃ速いんですよ。アイアンの速い人がシルバーのライダーを抜いたりとかもありました。僕はブロンズクラスが一番合ってましたね。シルバークラスでもセクションはクリアできると思いますけど、それを4日間毎日100km走るのは無理だと思いました。
海外のレースって日本人が想像するハードエンデューロとはちょっとジャンルが違うんですよね。シングルトレールがメインで、僕は日本のラリーを走ったことがないのですが、やっぱり近いのはラリーなんじゃないですかね」
Red Bull Romaniacs 2022 Bronze Finisher
Total Time 26h28m19s Rank130 #451 Yu Yokota(横田悠)
横田悠
「やっと終わってくれました。昨日(DAY3)がとにかく疲れて、今日はずっと『早く終わってくれ』って思いながら走ってました。昨日の転倒もあったので今日は一定のペースで無理せず走っていたんですけど、前半のコースが思いの外難しくて。この4日間の中では一番難しかったんじゃないですかね。面白かったは面白かったんですけど、他のライダーをいっぱい助けなきゃいけなくて。あれほど体力を残して走ろうと思っていたのに、めちゃくちゃ疲れました。
おそらく日本と海外でハードエンデューロっていうものに求められるものがちょっと違っていて、日本では走破テクニックが一番求められるんですけど、ルーマニアクスではフィジカル、つまりタフさが一番求められていて、次に安定したスピード、たまにちょっと基礎的な丸太やステアのスキル。海外のライダーも上手いは上手いんですけど、走破テクニックだけを取るなら今回ブロンズに出場した僕ら3人の方が上かもしれません。一概には言えませんけどね。ただ、総合力で言うと全然負けてますね。やっぱり僕はブロンズクラスが限界でしたね。1日だけシルバークラスのコースを走れと言われたらもしかしたらできるかも知れませんが、4日間は体力が持ちません。4日間走り続けるのがこんなに辛いとは思いませんでした。
海外レースだからではなくて、このレースが世界的なビッグイベントだという事実が、一番大きい醍醐味です。そんなイベントに出場できたというだけですごく自分が高まるし、実際に走ってみたら世界各国から面白いライダーが来ていて、走っているうちにだんだんと仲良くなってくるんです。とにかくこのレースに出られたこと自体が、とても嬉しいです。この充実感はとんでもないですよ。
プロローグでもいい成績が残せましたし、4日間しっかり全力を出し切ったので、成績には満足しています。今回一緒に参加してくれた他のメンバーのように、これから色々な海外レースにチャレンジしてみたいですね。ルーマニアクスはちょっとタフすぎるレースだったので、Sea To Skyみたいなもうちょっとリラックスして楽しめるレースやツーリングイベントにも参加してみたいな、と思います」
Red Bull Romaniacs 2022 Bronze Finisher
Total Time 32h27m59s Rank162 #356 Daisuke Okaniwa(岡庭大輔)
岡庭大輔
「やっと終わった、という感じですね。想像以上にタフでした。僕は一応Sea To Skyにも2回出ており、それなりに覚悟もしていたのですが、こんなにタフだとは思いませんでした。Sea To Skyももちろんハードエンデューロレースで4日間にわたるのですが、そのすべてが楽しいんですよ。でもルーマニアクスはちょっと違いました。
2日目の宿泊地だったランカはとても外国感があって素晴らしいのですが、メインのコースとなるシビウ周辺の山はわりと植生とか日本っぽいので、走っていて『ここ日本かな?』って思っちゃってモチベーションがあんまり保てなくなっちゃうんです。想像以上にガチなレースで、エンジョイ目的で出ると痛い目に遭います。それはブロンズクラスでも変わりませんでした。ゴールドクラスと違ってブロンズクラスとかって映像がほとんど残っていないので、どういうコースなのか走るまでわからなかったんですけど、やっぱりとにかく長い。特に下り坂ですよね。登りはゆるーく林道っぽいところをグイグイと登っていくんですよ。その時にはもう頭の中で『あぁ、これ登り切ったらアレが来るなぁ』って思うわけですよ。で、案の定、そのあとは延々と下るんです。本当にいつまでも終わらなくて腕がパンパンになります。
ヒルクライムに関してはぶっちゃけ難しいのはほとんどありません。日本でそれなりにハードエンデューロをやっている人ならブロンズクラスには登れないヒルはないと思います。ただ、長さからくる疲労で簡単なこともできなくなってくるんです。1日100km以上走るということを頭ではわかっていたのですが、実際に走ってみて、しかもそれが4日間続くと、けっこうキますよ。言っても1日目はちょっと楽しいんですよ。2日目で『おやおや?』ってなって。僕は3日目でGPSを失ってタイムオーバーしちゃったんですけど、ルールをよくわかってなかったので、もしこれで(4日目を走り切っても)フィニッシャーになれないのなら、4日目は走らなくてもいいかな、と思っちゃったくらいです。
全体を通してこのルーマニアクスというレースは本当によく考えられていて、CPで必ず休憩が義務付けられていたり、スタート時間が順位ごとにズラされていたり、同じセクションを3周するライブマニアックスだったり、ライダーも観客も楽しませようとする運営の工夫が感じられました」
こちらが、ブロンズクラスのフィニッシャーに与えられるブロンズメダル。もちろんシルバー、ゴールドにもそれぞれのメダルが存在する。こんなに誇らしいメダルは、見たことがない。
4日間のレースを走り切った後、土曜日の夜にはアフターパーティが大々的に開催され、DJが流すミュージックで踊りながら酒を飲み、レース話で盛り上がる。これぞ海外レースの醍醐味と言えるだろう。
Red Bull Romaniacs 2022に参加するために日本人ライダーが支払った金額は1人あたり100万円〜120万円だという。金額の上下はレンタルするマシンの年式の差によるものだ。クロスパワーレーシングのマシンレンタル、サポート、航空チケット、宿泊費、移動用のレンタカー、諸々。さらに一週間の休みも必要だ。そのすべてをクリアできる社会人ライダーは限られているだろう。
しかしそれだけのものを費やしてもなお、参加する価値は確かにある。それは単に良い景色の中を走れるとか、長時間走れるとか、難しいコースを走れるとか、そう単純なことではないのだろう。横田のコメントにもあったように、世界中からエンデューロフリークが集まるこの一大イベントの一端を担うことができたという高揚感は、なにものにも変えがたい。
取材班・伊井コラム「いつかのフィニッシャーへ」
まずは参加した5人のライダーへ。本当にお疲れ様でした。みなさんのおかげで日本人として初めてルーマニアクスを取材するという貴重な体験をさせてもらうことができました。
レース中は1人、レンタカーで見知らぬ山の中を走って追いかけないといけないのに、英語もろくに話せず、左ハンドル右側通行は初めて、マニュアルミッションもペーパードライバーという僕が、こうしてどうにか全日程の取材を終え、帰国してレースレポートの最終回を書くことができています。
途中からいきなり同行取材を希望した僕を受け入れてくれたライダーのみんな、現地で助けてくれたルーマニアクスのスタッフ・現地民のみなさん、SNSなどで日本から応援してくださったみなさん、そして残してきた仕事を引き継いで立派にこなしてくれた株式会社アニマルハウスのスタッフ、会社的には大赤字のこの取材に許可を出してくれた稲垣編集長、本当にありがとうございました!
この貴重な経験は、僕を1人の記者としてだけでなく、1人の人間として大きく成長させてくれたと感じています。イスタンブール空港の多国籍な雑踏、シビウの美しい街並み、ランカの広大な自然、見知らぬ外国人たちとの辿々しいながらも気持ちのよいコミュニケーション。東京からおよそ9000km離れたルーマニアでの経験を、僕は一生忘れることはないでしょう。
そして1人でも多くの人にこの感動と興奮、ルーマニアという国とルーマニアクスというレースの素晴らしさを伝え、日本のエンデューロ界に何かを残すことができたらと思っています。
と、ここまでは綺麗事です。
本当のことを言うと、僕は近年のG-NETを追い続けてきた記者として、とても悔しいのです。日本で情熱をもってハードエンデューロに取り組み、若くして念願のG-NETチャンピオンになり、今や敵なし、とまで言われ始めている山本礼人が、全く通用しない。こんなに悔しいことはありません。レベルの差がありすぎて清々しいくらいなのに、悔しくてたまらない。DAY1、ブロンズの選手を撮影するために入った山の中で、山本からリタイアの連絡があった直後のなんとも言えない気持ちを思い出すと、涙が出てきます。
だからこそブロンズの3人が完走してくれたことが心の底から嬉しかったし、誇らしかったのです。「どうだ、日本人もすごいだろう。山本と佐々木は彼らよりももっとすごいんだぞ!」と大声で叫びたかった。いつかこの2人の偉大なチャレンジャーに続き、ルーマニアクスのゴールドクラスに出場する日本人が現れ、そして完走することができたら……そしてその時、今回の僕らの経験を少しでも役に立ててもらうことができたら。その時こそ今回の旅が報われる瞬間なのだと思います。