常人であれば、動転してしまうような場面で山本は「通常運行でした。レースで転んで、ここからどういう風にしていったらいいかな、ちょっとでも早く自分のリズムを作らないといけない、トップはどこにいるんだろう、誰が1位で誰が2位3位だろう、それまでにいるライダーは誰だろう、というそれだけですね。自分のやるべきことを、自分の走りを見せる。どんな状況だろうが最後まであきらめず戦い抜くという事だけは絶対にやりますと、周りの人にも宣言してやってきたので、それができないこと以外のプレッシャーとか恐怖っていうのはなかったです。富田選手に負けるんじゃないかとか、誰かと絡んでリタイヤしちゃうんじゃないかというプレッシャーはほぼなくて、そのプレッシャーよりも自分自身が今自分に与えられているこの課題をちゃんとクリアできるのかと。クリアできなければ結果が出ないというレース人生だったので、それをやり抜けるかどうかというプレッシャーをいつも可任じてきました。常に冷静であり、しかし常に冷静ではないと言う感じですね。
トップ3のライダーはやっぱり早いです。全日本とはいえ、日本の一番トップというカテゴリの中で、転倒してグローブに泥が付いて、そういう条件の中であれだけのライダーを処理してパスしていかなきゃいけないというのはかなり大変でした。僕、スタート良いんで今までこういう事はあまりなかった」
2018年、山本はやはりチャンピオンをかけて成田亮と勝負。最終戦でクラッシュしてしまい、成田の逆転タイトルを許してしまった。あのときの記憶を呼び起こしたファンは少なくなかっただろう。「ああいうのって記憶に刷り込まれているので、レースが始まるまでは無意識の中に意識があるっていう感じです。そういうことも現実としてあり得るなという。でもそれを乗り越えていかないと」と山本は言う。そんな状況下で、まさに筋書き通りのクラッシュ。「僕があの勢いで上がったと同時に、3番手の祐介がタイムを上げてるんですよ。やっぱりそういうプッシュができるのが、少なからずファクトリーライダーですよね。自分のベストを常に尽くしていたので。自分が切り開けるベストとしてはあれが限界だった。あとはあれでゆうすけがプレッシャー感じて転ぶこともあり得るし」山本の自力優勝の条件は3位。遠ざかる渡辺。万事休すであった。
しかし、ご存じの通り、このヒート2終盤はとんでもない展開を迎える。山本は4番手までしか上げられないなか、2番手能塚が富田をつつきはじめる。前を走る富田は「後ろが誰かとかどうでもいいや、自分のできることやろうと思って走ってました。だけど、15分くらいの時に、自分の予想していなかったミスがあって。ジャンプを飛ぶ時にグネってなって、5秒くらい開いていた差が一気に2秒とかになって。そこから、後ろばっかりに意識がいっちゃって、走りが自分に全然向いていないようになっちゃって、完全に自分の走りを見失った。メカのボードで山本が4番手だったのは知っていました」そんな状況で、迫る能塚。
富田は言う。「ラムソンを飛んだ後の進入で、ヒート1では山本に抜かれてる。そこがちょっと苦手で突っ込んでいけなかったんです。ラムソンを飛ぶ時に太陽が後ろにあって、着地のところに自分の影が映るんですけど、そこで後ろとの差を見ていました。抜かれた周はもう飛んだらすぐ影が来ていて、うわあ近いと思って。僕の中ではインをしめたつもりだったんですけど、それ以上にインが開いていた。インが結構荒れていて、それ以上入ると危険だった」と回想する。能塚は、仲が良い先輩の富田を、なにもかもわかっていてパスした。「ヒート2の前「トッチくん、チャンピオン獲ってくださいね!」て言ってて、俺は「あなた次第ですよ」って言って笑いあった。で、レース後「すみませんトッチくん!」って言われました」と富田は笑う。人当たりのいい能塚は、山本とも仲がよかったし、何より能塚は勝ちたかった。
いろんな想いが交錯した広島大会。全日本モトクロスのなかでも、歴史に残るヒートを終え、山本は何度も雄叫びを上げた。