少年時代から、追われてきた
山本はあまりに速すぎたため、まわりからすれば「マシンになにか細工がしてあるのではないか」と思われていたのだった。雑誌を使って、その疑いを晴らしたという逸話である。実際、そのRMはスタンダードだったが、整備が行き届いていて素晴らしいコンディションだったから、大河原も「乗りやすい」と太鼓判を押した。
速すぎることで、山本は常にやっかみを浴びていた。時には、本人にも伝わるほど、そのねたみは激しかったし、ジャーナリストである私たちからみると、それにいらついていたことも多かった。強者は孤独である。
「そうですね。普通じゃないというのは、みんなが理解できないということで、そうじゃなかったらこう(言われること)はならなかったのかなって。普通の社会を語れるほどでもないですが、一般的な会社の社長とかは普通な面もあれば癖の強い面もある。人として理解できないような部分は一流選手にしても社長にしてもみんなあるのかなと思います。
周りの常識はわからないですが、周りと自分はちょっとずれているのかなというのは感じますし、感じながら生きてきた。その中でモトクロスを続けたいと思ってきました」山本は振り返る。普通では、なかったから、理解されずに生きてきた。そういう思いがある。
そんな山本が小さい頃から考えていたのは、とてもマジメなことだった。「次々に自分のやらなきゃいけないことをこなしていく中で出てくる課題や障害をクリアしていくことだけでした」と。実に実直。最後の監督となった小島庸平に言わせれば「武士のような男」だ。類い希なスピードが、こうした山本の人となりを形成していったのだろう。
「自分がやったほうがいいなと思うことや、周りからこういう風にやったほうがいいと言われることあるじゃないですか。そういったやるべきことに対して、どこまで貪欲になれるかということが、選手としてやっていくポイントになるんじゃないかなと思っています。
小さい頃から追われる人生でした。誰かを目標にして、あそこを目指す…というよりも、ずっと後ろから追われる立場。常に自分は前進して逃げていかないといけないから、停滞ができなかった。自分の中で停滞したくないという思いもありました。「ここに滞っている場合ではない、もっと前進したい」という意欲が育つような環境だった、それだけですね。そのために自分は何をしなきゃいけないのか、ちょっとずつでも前進していくことが積み重なって、大きなことをやっていかないといけなかったりだとか。追う方も追われる方も停滞する時期は絶対にある。だけど自分を自分が成長することを諦めなければ、周りも必死になってついてきてくれるというのはモトクロスから学びました」