遠い星の出来事くらいにしか思っていなかったエルズベルグロデオに行こうと思ったのは、田中太一の熱に、ほだされたから。っていうか、太一君はその頃ジャーナリストのケツを蹴り回しまくっていて、例に漏れず僕もどつきまわされた。世界レベルのランカーが、世界レベルのリザルトを残して、専門ジャーナリストが指をくわえてるなんてもういやだ、と思った。募らせた思いを爆発させる太一君と、オーストリアで共に涙を流したいと(泣かなかったけど)思ったのだ。
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エルズベルグロデオ以上のレースを、僕は知らない
僕が行く前から、エルズベルグロデオはすでにハードエンデューロの頂点として君臨していて、民放テレビでも「世界仰天」的な扱いで映像が流れることが多かった。なんせ、会場では500人のライダーが崖に向かって突撃し、続々散っていく。知らない人から見たら、ただの滑落事故だ。
エルズベルグロデオはこれまで、何にも属してこなかった、ただの草レースだった。名誉とフィニッシャーフラッグだけが与えられる。FIMやAMAなどの認証は無い。だから、エルズベルグロデオはそういった「格」の話しからすると、名も無き地方のお祭りと同じだ。
でも、AMAスーパークロスや、ロレッタリンMX、ダカールラリー、MXGP、Enduro GP、結構いろんなレースを見てきたけど、僕はエルズベルグ以上のレースを見たことがない。観客動員数はダカールのほうが多いだろう。日数や経済効果もダントツでダカールだ。影響力はスーパークロスがダントツだろうか。しかし、エルズベルグにはそんな物差しは不要だ。現場に身を置き、その昂ぶる熱を全身で浴びれば、きっと意味がわかる。
ちなみに、エルズベルグは数字で語ってもなかなかスゴイ。
エルズベルグの数字
観客動員数は、45000人。4日間、1500人のコンペティターが40カ国から集まり、4500人が参戦の選考から漏れる。スタッフは800名、200名のガイドに、100名のエマージェンシースタッフが待機。ジャーナリストは250名が来場する。3つあるパドックは、10000台は駐車する。
なんだたったそんなもんか、と思うことなかれ。
この45000人の観客の濃さが尋常ではないのだ。ダカールでは現地住民がずらーっと数十キロにわたり絶え間なく連なるけれど、45000人全員がエンデューロを見たい超コアな観客で、勝手な予測をするとそのうち40000人はエンデューロをしていると思う。ここに集まっているのは、一般人ではない。明らかにコアなハードエンデューロ野郎ども、つまり俺たちの仲間だ。だから、熱量が半端じゃない。むさ苦しいこと、この上ない。
毎年、4日間のうち2日目にRide on Eisenerzというパレードがおこなわれる。参加する台数は3000台を超えると言われ、小さな鉱山の街を、3000台のバイクが縦横無尽に走り回る。街も、経済効果あってのことか、歓迎ムードで盛り上がる。初めてこのパレードを見たとき、僕は少し涙ぐんだ。なんというか、こんなに仲間がいたんだという実感が、沸き上がってきて、カメラを抱えながらトラックの後ろで叫んでいたのを覚えている。パレードには不思議な力があるのだ。
日本人とエルズベルグロデオ
2010年、田中太一がエルズベルグロデオの本戦に日本人として初参戦、予選で失敗して5列目スタート。圧倒的に不利な状況から13位での完走は、世界を震撼させる。エルズベルグの事務局、ならびにKTMの記憶にしっかり田中の姿が焼き付く。日本からは、当時オフロードwebメディアで日本最大のdirtnpホッパー氏が同行。
2011年に7位、2012年に5位(河津浩二も参戦、DNF)。この年、誰もジャーナリストが付いてこなかった現実に、田中は激怒。2013年から、僕稲垣が同行して7位(3人目の水上泰佑が参戦、DNF)。2014年、最後の参戦を発表するもののDNF。2015年には田中の意思を引き継いで矢野和都が参戦するもののやはりDNF。
で、5人目の挑戦者として2018年の今年、石戸谷蓮がチャレンジする。
エルズベルグロデオのレベル
難所として有名な、カールズダイナーはもとより、ダイナマイトを上から眺めたとき、本当にどこを走るのかわからなかった。ここを上ってくるのだと聞いて、そのレベルの計り知れなさを知った。田中は、そのダイナマイトで激昂し、実の父親に「どこや、ラインは!」と怒鳴りつけたという。トライアル世界選手権のランカーでもあった田中がラインを見つけられないのだ。
何年もインタビューを重ね、3年同行した上で、ようやくそのレベルの片鱗が見えてきた。
一つ言えることは、田中の実力があまりに日本のハードエンデューロの中で突出していたことだ。2番手との差は、埋まるようには見えなかった。このことは、たぶん全日本トライアルを観戦するとわかると思う。今、トライアルを牽引しているトップライダー達は、世界戦をシーズンで体験して、みな「世界でトップに立つ」ことを目指し、もう少し手を伸ばせば手が届く、そんなライダーばかりだ。藤波貴久だけがスゴイのではなく、日本のトライアルは純粋にレベルが高い。田中は、その「トップライダー達」のうちの一人だったわけだ。
いわば、彼らエリートに立ち向かうことは、聞こえはいいが、実際問題数年でひっくり返せるような差ではない。幼い頃から、一生のうちの最も脂がのった時期に華開くよう、一心不乱に取り組んできたのだ。
前置きが長くなってしまったけど、田中であれば完走は堅かった。
完走のレベルを考えるにあたって、矢野の戦績も参考になる。矢野はセンスあふれるモトクロス出身のライダーで、IA2クラスの星として活躍していたが、引退後はダートスポーツ誌の編集部員として働きつつ、エンデューロにチャレンジしはじめた。センスの塊で、さらに努力家だったから、いろんなスキルを次々に身につけていた。ちょっと変わったところだと、引退後にはじめたんだと思うけどギターも相当うまかった。だから、トライアル的なテクニックもスポンジのように吸収していて、田中も「完走できる可能性は十分にある」と見込んでいた。
矢野は2015年、スタート付近のヒルクライムで失敗。1列目スタートのアドバンテージを、ここで一気に吐き出してしまう。1度失敗すれば、有象無象が這い上がってくる中をあみだくじのように上らなくてはいけなくなってしまい、一気になんでもない(といっても、これは完走するレベルのライダーの話)ヒルクライムが難所になってしまう。それだけが原因ではない。ビルの2階以上からたたき落とされて死ぬかと思った、という言葉をよく覚えているけど、4時間の時間制限の中、もがきにもがいた矢野は「ここからがエルズベルグの見せ所」と言われるカールズダイナーまで、たどり着けなかった。僕と田中は、カールズダイナーで街惚けていた。矢野は、完走できる可能性の線上にいたのだろうか。2年目の挑戦はなかったから、今となってはわからない。
カールズダイナーを何分で帰ってこれるかが、勝負の分かれ目
エルズベルグロデオのハイライトは、カールズダイナーだ。
このセクションを、いかに速く切り抜けられるかで完走の可能性が変わってくる。年々、その距離を増しているカールズダイナーは、当初は目算500mくらいを行ったきり戻ってこないレイアウトだったが、田中が参戦しているうちに往復させるようになり、さらに今では往復させたのちに、下の段も走らせるようになった。たぶん、2km近くの巨大なガレ地帯を走らされることになる。
カールズダイナーの岩は、おおよそ1mくらいのものがゴロゴロしている。だから、常にラインを見なくては、大幅に時間をロスしてしまうと言われていた。2012年あたりは、トップライダーにはメカニックがマインダーのようについて、ラインを指示する姿が見られた。田中も、メカニックと共にカールズダイナーを切り抜けた。矢野をカールズダイナーで待っていたのも、田中がラインを指示するためだった。でも、最近ではカールズダイナーまで到達するライダーが増えていて、ラインが定まってきている。走破スピードも格段に上がっている。
カールズダイナーは、無酸素運動の連続だ。常に重いフロントを持ち上げながら、ラインをトレースしていく。腕も足もパンパンになる。それでも、そこを突破しないと先は見えてこない。石戸谷が、ここを走る時、どう思うのか。2時間くらいでカールズダイナーまで来れれば、カールズダイナーで1時間使える。残り1時間では、かなり厳しい戦いになるだろう。
Off1、エルズベルグに行きます
というわけで、エルズベルグロデオには稲垣が石戸谷に同行し、密着取材をする予定。お楽しみに!
5月31日からはじまり、ヘアスクランブルは6月3日。あとたったの13日だ!!