プロデューサー藤原慎也は、言った。
「全日本を走っていても、注目されない。僕が最高峰のIAスーパーに上がった2014年に、真っ先に思ったのはそれでした。その時すでに、若い子達が育ってきていて、10代の子達がIBでも頑張っていて。その子達がIASに上がってきた時に、頑張っても報われないなら、やめようと思って欲しくない。みんなに注目される舞台が用意されていれば、きっとトライアルは輝きだすはず」
グルーブ感が、関係者を高揚させる。きっとそれが、観客に伝わって熱になる
4月21日に開催されたシティ・トライアルジャパンは、通天閣から伸びる商店街を観客で埋め尽くした。午前中のウォームアップから人が入り始め、午後の決勝の頃にはボルテージが上がりまくり。
業界に長くいると、不安になることがある。
メディアが、確証の無い若者のバイク離れを叫ぶたびに不安になり、「そうじゃない」と叫び続ける。誰だって、将来に不安があるのと同じように、僕らは不安の中を生きている。
このたびOff1.jpの編集長を任命いただいたが、僕らがメインで追っているのはエンデューロというマイナーな競技だ。今でこそみんなで頑張ってきたから、他の競技から嫉妬されるくらいにはなったと思う。でも、バイクを知らない人にエンデューロと言っても、たぶんブラスバンドのユーフォニウムと同じくらいわかってもらえないはず。逆境を、いつもはね除けようとして、いつも叫んでいる。だから、ライダー達や主催者たちとグルーブ感を持って、一般向けに「俺たちはここにいるんだ!」とメッセージが放てた時の感動といったら無い。
シティトライアル・ジャパンは、始まる前からそんなグルーブ感に溢れていた。壁のように見えるセクションの数々を歩いてまわっていると、目が潤んでくる。ライダー達、マインダー達、関係者達。みんながそんな胸にくる想いをもって、それが観客にも伝わるのだ。きっと。
デモじゃ無い、競技なんだ
藤原は、シティトライアル・ジャパンを構想するにあたって、競技にこだわった。トライアルのスキルを持ってすれば、デモライドで十分に凄さが伝わるけれど、それでは足りないと思ったのだ。競技にすれば、ジャッジは誰がするのか、セクションは競技として成立するのか。デモにすれば、セクションも小さなモノで事足りる。ライダーだって少なくていい。
シティトライアル・ジャパンは、競技を魅せる域に持って行くために、まずはライダーをIASに限定した。IASでギリギリクリーンが狙えるレベルにすることで、迫力を出せたし、何よりセーフティゾーンを確保できた。
予選を含めて5セクションが用意され、持ち時間も設定。決勝ラウンドは、DNFが連発する難しいモノだった。
競技だらこそ、界隈のドラマが引き立つ。15歳にしてIASルーキーイヤーの氏川政哉(セイヤ)は、このシティトライアルでも果敢に攻めるスタイルが、観客に大ウケ。多くのファンを作ったはずだ。
2017年、全日本ランク2位。今季は電動トライアルバイクで世界戦へもチャレンジすることを発表している黒山健一。明るく、ファンサービスも忘れないことで、黒山を見に来たファンも多かったはず。全日本シリーズに関わらないスポットラウンドにも関わらず、入念に下見をする。
誰もが飛ばないセクションをチャレンジ、セクション3で3点を失い、順位的には落としてしまうが、記憶に残るライディングだった。黒山は「小川がきっちり競技としてまとめてくれると知っていたし、僕は魅せるライディングに集中しただけですよ。僕らのなかでは、いかにトライアルを知ってもらえるかがメインだと思っているので」と説明する。
チャンピオン小川友幸。そつのないライディングで、きっちり「トライアルで戦うこと」を魅せた。「ライダーが全員で協力できたことが、よかったと思っています。みんな他の仕事やレースがあったので、なかなか揃いづらかった。ホンダとヤマハは、レースでは戦っていますが、最近は僕と黒山のコラボイベントをしたりしているんです。メーカー側も協力しやすくなっている」と小川は言う。
初代チャンピオン、小川友幸の誕生であった。
心を動かせ
かつて、トライアルにはブラック団というチーム(当初は自転車トライアルから始まった)があった。黒山健一の父がはじめ、いつしか世界に飛び出すほどの強烈な世代を作り上げた。スポーツのジャンルで世界レベルへ引き上げることは、方法論すら確立されていないが、トライアルはこのブラック団をスタート地点として、藤波貴久という世界チャンピオンを産み出し、今なおこうやって高い水準を保っている。
それでも、渇いた心を感じ、ライダー達が自身で前進を続けようとするその姿は、何にも代えがたく尊いと感じた。藤原は、今後もいろんな会場でやっていきたいとコメントしている。次は、心を動かしに、トライアルへ行ってみないか。