日本最大のクロスカントリーシリーズJNCCの2022年シリーズが熊本のグリーンバレー森羅で最終戦を迎えた。全日本モトクロスのファクトリーライダー能塚智寛がスポット参戦、迎え撃つランカーたちと大いに盛り上がった
2011年のJNCCを振り返る
いまから11年前、すでに日本を代表するレースシリーズに成長していたJNCC。開幕戦のサザンハリケーンではとんでもない事件が起きていた。チーム宝城中学校2年2組から出走していた能塚智寛が、COMP BクラスながらCOMP総合2位でフィニッシュしたのである。モトクロスの国際クラスに参戦するには年齢が足りないため、当時中学2年生だった能塚はこの1年をJNCCに充てることにしていた。次戦の鈴蘭ではCOMP Aクラスにスイッチ、モトクロスコースベースのプラザ阪下とは異なり、スキー場ベースのテクニカルな鈴蘭ですら総合4位をマーク。この年にダートスポーツRTからAクラスチャンピオンを狙っていたモトクロスIAライダー矢野和都とがっぷり勝負となったのだった。
古くからのJNCCファンにとっては能塚がJNCCを“再び”走ることは、ある意味凱旋のようなもの。モトクロスでHRC、カワサキファクトリーを渡り歩く、2020年台のJMXチャンピオン候補能塚のカムバックに会場は沸いた。マシンは2021年の全日本モトクロス本番車で、つまりは1年オチのファクトリーマシンだ。ビッグタンクを装着している以外はほとんどそのままの仕様で、小池田猛がやはりヤマハファクトリーながらJNCCに参戦していた頃にファクトリーYZ250Mを持ちだしてきていたことを思い起こさせる。しかも、2011年当時とは状況はがらっと変わっていて、能塚の先輩にあたる熱田孝高や、成田亮らがフルシーズンで参戦しているところがまた面白い。
壮絶なトップバトル
グリーンバレー森羅もこれまた歴史のあるレースである。2010年に鳴り物入りで開催されることになったレースで、日本離れしたロケーションはクロスカントリーライダー達に歓迎された。ツーリングスポットとしても雄大で人気の高い阿蘇外輪山だが、普段はこの牧草地の中にバイクで入っていくことは許されておらず、特別に許可されたレースの時だけに解放される。今回もそのコース全長はCOMP GPで13.4kmもの長さ。あまりに長いため下見はできず、ライダーのほとんどが初見のイコールコンディションでスタートが切られる。土曜日はひどい風雨に曝されマディコンディションが想定されたが、日曜には路面が回復。11月下旬には珍しいほど暖かい18度程度の気温となり、最高のクロスカントリー日和となった。
レースの序盤を牽引したのは熱田と能塚だった。二人は様子を見ながら順位を入れ替えつつ機をうかがっていく。その背後には成田、馬場大貴、渡辺学らが続き、前戦で初優勝を飾った小方誠は後方から追い上げのレースとなった。このうち、熱田はチェンジペダルの破損によってペースダウンを余儀なくされてトップ争いからは脱落、成田はクラッシュによる負傷でレースを離脱し、能塚の単独走行が続いた。だが、余裕に見えた能塚も1分以上の差がついていたはずの小方の猛烈な追い上げに悩まされることになる。
中盤からは小方は能塚のラップタイムを1分弱上回るハイペースで周回。1周15分のコースだから、モトクロスの平均的なコース2分になおすと1周10秒ほどのスピード差があったことになる。そして8周目にはいよいよ能塚を視野に捉えて一気にパス、能塚は急激に離されていくこととなる。ところが、ラスト3周で小方はハイスピードでの走行中にミスから崖落ちを喫し、復帰に7分以上を要してしまい3位へ転落してしまう。能塚はそのままペースを落とすことなく、COMP GPクラスの優勝を遂げたのであった。
JNCC史上、カワサキ車が総合優勝を果たしたのは2019年に参戦したゲストのジョシュ・ストラング以来。日本人としては初の快挙であり、初参戦時に逃してしまった総合優勝を自身としてもはじめて成し遂げたことになる。
チェンジペダルを失ったまま2位に入った熱田孝高は、現在BIVOUAC大阪 with RG3 Racing所属。能塚も本チームはTeam Kawasaki R&Dではあるものの、ビバーク大阪から協賛を得てレース活動をしており、チームメイトと言っても過言ではないほどに距離が近い。「ここで負けちゃうと、来年熱田さんからずっと言われ続けてしまうんで、勝ててよかったですね」と能塚。現役モトクロスランカーである小方も、今季から全日本モトクロスと被らないラウンドはフルにJNCCに参戦していることもあり、裏全日本異種格闘技戦のような様相を呈しつつあるJNCC。全日本展開しているレースシリーズの中でも、今は全9戦と最もレース数が多く、年々レベルや規模が成長中。来シーズンにもぜひ期待したい。