前回までに四国最東端「蒲生田岬(かもだみさき)」と四国最北端「竹居岬(たけいみさき)」を踏破。次に目指すのはもちろん四国最南端に位置する高知県「足摺岬(あしずりみさき)」と四国最西端の「佐田岬(さだみさき)」である。

朝、徳島県海部郡海陽町のホテルの前に広がる太平洋は真っ赤な朝焼け。地元のオジさん曰く「こんな見事な朝焼けは滅多に見れないよ」とのこと。

旅の仕度を済ませ、朝8時から走り出すと、急ぎ足で歩く人があちこちで見られる。そう、ここは四国八十八ヶ所霊場の地。歩いている人々は「お遍路さん」という訳だ。それにしてもなぜか皆さん時計周りだ。僕もツーリングでどこかを周遊するときは必ず時計周りなのだが、これはヒトの習性というやつだろうか?

そんなどうでも良いことを考えて走っていたら、バックミラーにバッタが止まっているのに気付いた。そういえば出発前、燃料タンクに数匹のバッタが群がっていたような気がする。そのうち根性のある一匹がここまでしがみついてきた、のだろうか……。

このバッタ、風圧でその内に飛んでいくだろうと思っていたら、なかなかの根性モノである。加減速をくり返しつつ、ワインディングを右に左にとバンクして駆け抜けたにも関わらず、ミラーの縁をしっかり掴んで離さない。

そのまま20分、30分……

「よくもまあ落ちないもんだ」と感心する一方、このバッタに対して親しみというか、友情のようなものが芽生えている気がしないでもない。共に50㎞以上の距離を走り、「室戸岬(むろとみさき)」でバイクを止めると、バッタはどこかへ行ってしまった。もちろん、僕は少し寂しかった。

そこからこの日の宿泊地である高知県南西に位置する大月町を目指して走る。四国最南端の「足摺岬」には15時ごろ到着。地元のオバちゃんに「ここはなぜ足摺(あしずり)って言うんですか?」と聞いたが分からないとのこと。自分で調べてみたところ、諸説あるようで、そのひとつは弘法大師が難路で足を引きずって辿り着いたというもの。

四国最南端を極めて機嫌を良くした僕は歌を口ずさみながら再び走り出す。だが、ふいに口ずさんだのが、はしだのりひことシューベルツ(編集部注:60年代後半のフォークソンググループ)の『風』だったので苦笑してしまった。懐かしいがあまりに古すぎる。
それはともかく、四国の自然はとにかく美しい。広々とした空の下、圧倒的な大きさと美しさをもって横たわる海と、変化に富む海岸線。そして陸地に幾重にも続く山々、大らかに悠々と流れるたくさんの河川。まるで「日本を代表する美しさ」とでも形容したくなる。道中には、1200年前に青年弘法大師「空海」が大海を眺め、洞窟に籠って悟りを開いたと伝えられる場所もあった。そこには空海像と今も残る洞窟があった。
この地には豊かな自然に加えて、文化、歴史と三拍子が揃っているのだ。

日が暮れる前に大月町へ到着。この日の走行距離は333㎞だった。