史上初のオートバイによる北極点・南極点到達、チョモランマ(エベレスト)世界最高高度6005m達成、パリ・ダカールラリー二輪部門へ日本人として初めて挑戦、などなど……。これまで数々の挑戦を成し遂げてきた風間深志氏が、実は本人にとってこれが初めてという日本一周ツーリングに出発。連載Vol.5をお届けします!

10月中旬、僕は函館~大間行きのフェリー乗り場にいた。どこまでも青空が広がる素晴らしい晴天のもと、僕のほかに3台のオートバイが乗船を待っている。ナンバーを見ると川越、福山、川崎と、いずれも遠く離れた県外からやってきたライダーのようだ。皆、250㏄バイクに山のように荷物を載せている。こういったシチュエーションになるとライダー特有の仲間意識から思わず話しかけてしまう。

「10日前に北海道に上陸し、宗谷岬へ行ったあと北海道を半周したんですが、本州と比べてめちゃくちゃ寒いのでびっくりしました」

フライトジャケットにスニーカー履きというラフな出で立ちの大柄な青年はそう言いつつも、額に浮いた汗を拭っていた。関西からやってきたもう1人の青年は道東を10日間かけて巡ったという。うーむ、それと比べると5日間で北海道の東西南北の端(4極)を巡った自分はかなりハイパフォーマンス? なのかもしれない。もっとも、僕の旅は目の前を流れる風景に感激しながら走り続け、マシンを降りたのはコンビニでの小休止とご飯を食べるときぐらい。宿に着いてからも日記を書いたり、SNSをチェックしたり、翌日のルートや装備の確認などで毎日があっという間に過ぎていく。“こんなに急ぎ足でいいのか?”と疑問に思わないでもないが、日本16極を巡るという掟を自らに課してしまったのだから仕方がない。

約90分かけて津軽海峡を渡り、大間港で下船すると大間崎で本州最北端の「極」をゲット。そこから青森市へ移動し、知人が主催するシンポジウムで講演を行った。

翌日からいよいよ本州編の本番がスタート。まずは青森市から約240㎞先にある本州最東端、岩手県宮古市にある魹ヶ崎(ととがさき)を目指す。ところがここまでの道のりは一筋縄ではいかない。国道45号線で宮古市街を経由し、そこから山間に延びる県道をえんえん走って岬まで行かなければならないのだ。おまけに夕~夜には石巻市でトークショーに出演することになっている。

岬が近づくほど道は細く険しくなり、ついに道はセンターラインのない舗装林道に。リアス式海岸特有の急こう配・急カーブの連続を抜け、姉吉漁港で終点となる。だが、ここから本州最東端の碑のある魹ヶ崎灯台へ行くには片道だけで約1時間も歩かなければならない。まさに最果ての地だ。僕はバイクで行けるところまでで引き返したが「こんな険しい場所にライダーを案内していたのか……」と、またしても少しばかり懺悔したのだった。

結局この日は445㎞を走破。無事に石巻市に到着し、休耕地を活用してホップ栽培などを手掛けている「イシノマキファーム」で、スポーツジャーナリストの中西哲生さんの司会で「冒険トーク&Beer」と題したトークショーに出演。頭の回転が早い中西さんのおかげで主客一体の素晴らしい夜に。皆さん、ありがとうございました!

北海道1周のラストナイトは函館「函館ひかりの屋台 大門横丁」の駄菓子BARで一人で寂しく過ごす。550円払うと駄菓子が食べ放題という面白いお店だった。

10月の北海道はすでに寒い。函館から大間へ向かうフェリーに乗るライダーは僕を含めたった4名だった。

大間行きのフェリー「大函丸」の船上から遠ざかる函館の町を眺める。

大間といえばマグロ。という訳で、本州最北端の岬へ向かう前に3800円のマグロ丼で腹ごしらえ。

青森では地域おこしのシンポジウム「津軽海峡交流圏 Well -being エクスペリエンスの価値を考える」で基調講演を行った。なぜ僕に依頼があったかというと、地域の振興や発展には発想の大転換やチャレンジの精神が求められる。ならば冒険野郎の話を聞いてみようではないか、ということらしい。

シンポジウムのスタッフに連れていってもらったお店で出てきたキノコ鍋。これがめちゃくちゃに旨かった。

魹ヶ崎まではとんでもなく細い道を行くことになる。本州最東端の碑がある場所へは終点の姉吉漁港から遊歩道をさらに3.7㎞も歩かなければならない。

こちらは石巻北上町でのトークショーの様子。主催のイシノマキファームは東日本大震災の被災地でホップを栽培し、クラフトビールを作る事業などを行う一般社団法人。冒険トークと美味しいビールを一緒に楽しむ素晴らしいイベントだった。