vol.1前編
3年の海外経験は、ライダーとして幸せな3年間だった
山本は、IA2で4年間戦った後、戦場を欧州に移すことになる。2014年にはMX2クラス、2015-16年にMXGPに参戦した。追われる立場は一変、追う立場となった。
「世界に出た3年間っていうのはものすごく成長したタイミングでした。違う苦しみも覚えましたし…追う苦しみというか。力の差を目の当たりにして、見せつけられる。走るたびにそんなに違うのか、今まで僕がやってきたのはモトクロスじゃなかったのか! ということがたくさんありました。ただ、その環境で自分を磨きながら、その環境も楽しかったです。家族のもとを離れて、ポンっと放り出されたような感覚だった。もちろんメーカーのバックアップがあって成り立っている事なんですけど、メーカーが直接的に自分に何かしてくれるという事はなかったので、僕としては経験を蓄えるには最高の時間でした。その前の年からちょっとヨーロッパにいかせてもらったりとかしていたのでそれも良かったのだと思います」と振り返る。
「僕は残れるんだったら残りたいと思っていました。ただ現実的に考えて仕事にならなかった。メーカーがバックアップし続けてくれるならやりたいなという思いでした。自分のポジション的にもバックアップし続けてくれたらもっと上を目指せたと思うけど、難しいですよね。それくらいに大変な場所ではあった。
イギリス選手権やロシア、イタリア選手権などは、GPライダーがスポットで参戦しに行ってもその国ローカルのトップライダーが勝ったりする。イギリスにもそれだけのライダーがいて、各国に3人ずつ位その速さの人がいるのです。つまり、替えはいっぱいいるということじゃないですか。強国のフランスにいたっては、もっといるってことじゃないですか。欧州全体を見たらもっと下になるんだ、世界ランクとしてはめちゃくちゃ下なんだって。そこに居続けることができるのかと。この中で15位に入れるっていうのはそのライダーたちの才能。例え各国に3人ずつそのくらいの速さのライダーがいたとしても全員がGP回れるわけじゃないから、GPを回れる人の中では15番手なだけ。
ライダーとしては最高でした。夢にまで見た世界で走れたんだから。経験したものしかわからない辛さなどを、これから伝えていかないといけないと思っています。モータースポーツの厳しい状況の中でこれだけのことをやらせてもらえたっていうこと、今後も無駄にはしちゃいけないなと」