ファクトリーを復活させて8年目。ホンダが手にしたダカールラリーの優勝は、ファンからすれば「ようやく」と言えるのかもしれない。だが、常勝を誇ってきたKTMは、やはり最初の勝利まで9年間を要した苦い歴史を持つ。ダカールラリーは、魔物だ。決して簡単に勝たせてもらえるものではないのだ。
「もう、事前にすることは何もないと思います」
そこまで準備しきった2019年、それでも勝利を逃してきた
2013年、ホンダが久方ぶりのダカールラリーへ参戦した時、映像を見れば誰もがわかるレベルでパワーに劣っていたと現監督の本田太一は言う。CRF450Xをベースに組み上げたバイクを刷新しないと、スタート地点にすら立てなかった。急ピッチで進む、真のファクトリーマシンの準備は、ライダーを日本へ呼びつけてクレイモデルから関わらせるほどの徹底ぶり。2014年、ここまでホンダが本気でやれば勝てるはずだ、勝てなければおかしい、と言われていたような気がする。
だが、勝てない年は、続いていった。
このインタビュー記事をおこしている稲垣は、2016年のダカールラリーを現地取材している。その年も、今年こそ勝てるはずだと言われていたけれど、やはりダメだった。ホンダの「負けパターン」としてはこうだ。序盤でトップに立ち、特にスピードに勝るジョアン・バレダが他を寄せ付けずトップを走る。しかし、徐々にルールの解釈問題や、マシンのトラブル、ルートミスでリタイアが増えていき、後半のKTMによる巻き返しを防げず、敗退。殊、2019年の落胆ぶりは群を抜いていたかもしれない。リッキー・ブラベックが前半からトップを走り、残り3ステージを残した7日目には7分のリードを持っていた。最終日は事実上パレードに近いから、あと2ステージの勝負。勝利が目前に見えながら、マシントラブルでリタイア。本田太一は思い出しながら「あのとき、壊れる前兆はなかったんです」と言う。
「もう、事前にすることは何もない」とまで思わせ、勝手知ったる南米に対してのテストも入念におこなった2019年は、まさにダカールラリーが魔物であることの象徴だろう。