ISDEで成績を残す

釘村のゴールドメダルが正式に発表されたのは、ライダーがすでに日本へ向かっている最中だった。スタッフやライダー達は、帰途でその喜びをかみしめた。

今年は、アメリカVSオーストラリアで終始したトップ争い。アメリカも、かつては勝てない国だった。この勝てるアメリカの礎を創ったのは、故カート・キャッセリと、そしてその父。長く続く、アメリカの大遠征部隊は、ISDEパドックの名物

日本が、ワールドトロフィーチームを出した初年度、2006年のニュージーランドは15位。翌年チリは12位、2008年ギリシャ19位、2010年DNF、2017年フランス19位という成績だった。今回、チームジャパンはシングルフィニッシュという目標を立てていたのだが、ライダー達もどこまで戦えるかわからない中、手探りで決めたものだった。

結果的には、今回13位と目標に及ばず。9位開催国のポルトガルは14時間33分のリザルトだ。日本の中で最速だった釘村が4時間59分だから、全員が釘村レベルで走れたとすると、10位14時間55分のベルギーとの差が見えてくる。この9位という目標ははるか遠くというわけではなかろう。2020年イタリア大会への改めての目標として、極めて妥当な順位だ。今年、ゴールドメダリストを1名輩出できた。来年は3名ゴールドメダリストを狙えるまで、各自を高める。

ここまで順位を毎日のように意識できたISDEは初めてだったように思う。いかにくるしい戦いだったか、世界との差はどれほどだったか…そのようなことに終始してきた時代は、この2019年でおわりにできた。ISDEとの戦いから、日本は各国との戦いにスイッチする時代を迎えた。これは、日本にとって偉大なる一歩だ。

チームジャパンの活動を支援いただいた皆様、本当にありがとうございました。2019年の活動をサポートさせていただいた、Off1編集部、つまりは株式会社アニマルハウスからも、厚く御礼申し上げます