ISDEはISDE。特別なエンデューロだ。いま、世界的にも日本においてもエンデューロが多様化し、さらに各カテゴリが先鋭化し続けているが、そのなかでも特別なものだと言える。参加者は600名、関わる関係者は2000名を超えると言われ、開催される街は、期間中エンデューロバイク一色に染まる。あるものは、一生をかけて完走を目指し、あるものは、ナショナリズムを背負って戦う。ISDEの全体レベルが高まっているこの時勢に、釘村忠のゴールドメダルをはじめ、今年のドリームチームが残した功績は数字以上に大きいはずだ。

ISDE2019
11月11〜16日
ポルトガル・アルガルブ地方

5日目、消え入りそうな釘村忠がいた

通常、シックスデイズの5日目は、イージーだ。1〜2日目はウェルカムデイ、3日目にふるい落とし。4日目までコマをすすめたライダーなら、そこから先は安心して見ていられる。このポルトガル大会は、まさにそのとおりのルート設定だったが、もちろんトップライダーにとっての6日間は、常に全テストが気を張った限界ギリギリのアタックである。

DAY5、とあるテストを終えて釘村。思わずヘルメットをハンドル上に埋める

5日目、3つ目のテストにおいて釘村は激しく前転クラッシュ。11分ほどのテストだったが、通常ならトップの40秒オチほどでまわるはずが、1分39秒オチ。つまり、1分ほどのタイムロスを要した。途中のタイムチェックで痛み止めを飲んで、とにかくやり過ごす。

果敢に攻める釘村。このDAY5のテストでは、難易度の高いジャンプも含まれていて、スキルの差がつきやすかった。ISDEの成績を狙うには、半端なモトクロススキルではダメだ。着地に思い切り負荷がかかるデカイシングルも、初見で大きく飛んで行けて当たり前。トップオブトップは、さらに低くいなしていく

この日のプレフィニッシュ(ワークタイム前の事前フィニッシュ。大抵時間に余裕があるため、待ち時間が生じる)は、ISDEにおいてもっとも美しい時間とも言える。特に、完走を目指してきたアマチュアにとっては、この5日目のプレフィニッシュにたどりついたことは、99%完走を意味するからだ(※6日目のファイナルクロスは、スタートにマシンをならべれば完走になる)。だが、釘村にとってこのシーンは暗鬱なものだった。ゴールドメダル圏内ギリギリだったところを、大きなミス。骨折していた鎖骨からも、痛みを感じていただろう。「ゴールド、どうなりましたかね?」静かな声で釘村は言う。ゴールドメダルは、6日間総計の110%以内なので、簡単には計算ができない。4日目でおおよそ60秒程度内側にいたことは確認したが、60秒ロスしたら圏内から外れる…という計算式が成り立たないのだ。ただ、余裕がなかったから、釘村はこの瞬間ゴールドメダルを諦めていたと思う。

毎日、ヘッドライトが必要な夜明けからスタート。DAY5は、暗がりのなかから初見のテストを走る。「ホコリで見えなかったりするのが当たり前、だからコースを覚える必要があるんですね…」と渡辺学は分析するが「とても覚えられる距離じゃない…」とも

釘村は、パルクフェルメにマシンを入れてから、サービスを受けているレッドモトのドクターへ顔を出した。釘村本人も、骨折していることはわかっていたはずだ。強めの痛み止めを処方され、釘村は長い5日目を終えた。