2019年のダカールラリーステージ3。モンスター・エナジー・ホンダチームは、この序盤で事実上のエースであるJ・バレダを欠くことになった。
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SSがはじまって130kmほどの地点でミスコース。バレダ本人はロードブックとGPSをフォローすると崖についた、とSNS上で記しており、M・ウォークナー、R・ブラベックも同じ場所に来たが彼らはうまく引き返してルートへ戻ったとのこと。バレダは崖の底まで落ちていたことで、復帰不可能な状態に。バレダの9回目のダカールが終わった。
バレダは、ダカール界において突出したスピードを持つことで知られており、これまでもミスで大差をつけられた所から、怒濤の追い上げをみせ追いつくような奇跡的なレースをしてきた。本田太一チーム代表は、各々の役割を明確に決めておらずレース中にフォーメーションを決めていくとレース前に話していたが、2018年のマシン開発はほぼバレダの「スロットル開けすぎで、マシンの傷みが早い」ことに対処するものだったと推測されるほどだ。だが、これまでもクラッシュや、ミスコースなど、多くのトラブルで優勝を逃してきたのも事実。エースであり、穴馬。こんなに面白いライダーは他にいない。
アルゼンチンの英雄、ケビン・ベナバイズ
2016年、ケビン・ベナバイズはホンダ・サウスアメリカチームから、ダカールラリーにデビュー。このチームは、Team HRCではなく名前の通り現地のチームで、CRF450RALLYが与えられていた。ダカールが開催される南米から、若い有力なライダーを育てる意味も、おそらくあっただろう。この2016年も、Team HRCは相次ぐトップライダーの離脱で憂き目に遭っていたのだが、ルーキーであるベナバイズが着々と順位を上げ、あろうことか4位でのフィニッシュとなったのだった。#47は、アルゼンチンの誇りである。
この年のダカールラリーは、アルゼンチンからスタートしてボリビアに入り、そしてまた戻ってくるルートをとった。レストデイで立ち寄ったサルタこそ、ベナバイズの出身地であり、サルタはベナバイズと#47の凱旋を祝してお祭りモードだった。
そのルーツは、エンデューロ
年に一度の、モーターサイクルのオリンピックと形容されるエンデューロ、ISDEは2000年代において南米で開催されることが多くなった。モトクロスにおいても同じことだが、広大でタフなオフロードが存分に残る南米戦を世界戦に組み込むことも好まれた。この南米指向は、南米におけるエンデューロのレベルを飛躍的に底上げしていったと言われている。
ケビン・ベナバイズはそのアルゼンチンエンデューロ選手権における2008年のチャンピオンだ。2009年からISDEに参戦し頭角を現した。2010年代にはKTMファクトリーのサポートライダーとして走り、2014年の地元ISDEアルゼンチン大会では総合20位まで上り詰めている。
ホンダのライダーだけあって、日本との親交もある。日本からの出向者も多いアルゼンチン・ホンダでは、ベナバイズを招いてイベントを催してきた。
2017年のダカールはTeam HRC入りした初年度ながらアンラッキーに見舞われ、負傷で欠場。
2018年はご存じの通り、2位へ入り一矢報いた形だ。つまり、2016年のデビュー以来、出場できたダカールは、安定して上位へつけ、サバイブし、優勝争いへつなげることができるライダーなのだ。奇しくも、ステージ3の1月9日はケビンのバースデイ。ステージを3位で終え、総合2位へ上り詰めたベナバイズ、ここからがいよいよダカールの正念場である。