MCSクリタというバイク屋を名前ごと継いだ太田家の次男、幸仁は数年前はバイクからある意味遠ざかっていた。太田家の中でのエースであった真成と共に全日本エンデューロにチャレンジしていたものの、数年落ちのKTMだったり、成績もチャンピオン争いに加わる兄のほうが出ていたから、ある年には幸仁は、兄のマインダーをするというエンデューロには珍しい体制をとったこともあった。

2013年には家族でイタリアのISDEへ参戦した。

父親とISDEに打って出たのは、日本では初めてのことだ。

難病指定される強直性脊椎炎

その幸仁が、2015年の中盤から急に落ち込んでいった。膠原病、というとご存じの方も多いだろう。そのうちの難病指定される強直性脊椎炎と診断されたと言う。
「免疫機能が首から腰の関節に炎症をおこしてしまい、まわりの筋肉が固まって動かなくなる病気。少しずつ固くなっていって、戻ることはありません。今は、とにかく進行を遅らせないように、気をつけるだけなんです」
30代の若手で、今が伸び盛り。結婚もしたてだった。順風満帆の人生に陰が落ちた。

しかし、2016年のJEC北海道ラウンドに再び顔を出した幸仁の顔には、もう迷いがなかったのだ。
「悩んだんだけど、結局のところバイクに乗ることでストレスを解消できるし、好きなバイクに乗ることがポジティブにつながっていくのなら、やりたいようにやってみようと思ったんです」と。ISDEのワールドトロフィーが現実的になった2017年には「今の目標はISDEにワールドトロフィーで参戦すること。ここから僕が成長できることはまずないと思いますが、それでもやってやりたい。そのドラマを見て、同じような難病の人に勇気を与えたいんです」と応えた。

この2018年のチームに選出されたことは、多くのエンデューロライダーに勇気を与えている。間違いの無いことだ。

ISDEまでは調整し続ける

「病気のこともあるので、新しいことを思い切りチャレンジはできない。なるべく乗る時間を長くして、バイクに乗り続けることで、身体を動かして、バイクの挙動とかを体にしみこませて本番を迎えられたらなと思うんですよね。

バイクの動きが分かっていれば休めるポイントもわかるし、いなし方もわかるし、そうすることで自分の持っている体力ゲージを少しずつ消費して、6日間を乗り切る。そうすることでチームのために自分のために走ることができるかなと思うんですよ」と太田は言う。太田の場合、体を動かすことは炎症を招くことになり、病気を進行させることにつながる。一概に「好きなことをやったほうがいいよ」と言い切れない中で、自らが決断したことだ。

だから、コースは荒れているほど太田の体にとって良くない。「なるべく荒れていないところを狙いますね、今は。前は結構突っ込んでいたんですけど、なるべく座る時間を少なくして、体力を温存しながら体への負担をなくしたり、走り方を変えています。
ギャップの少ないところを狙っていけばマシンへの負担も少ないかもしれないかもしれないし。
でもスピードを落として入るんじゃなくて、なるべくスピードを落とさずうまいこと入れるように、今そういう練習しています」と。

「疲れによって、身体が弱くなるじゃないですか。そういう時に抵抗力が落ちると、僕の免疫力の機能が強まることで病気の攻撃力が増しちゃうんですよね。さらに6日間走ると疲労が蓄積していきます。出来ることはなんでもやるつもりではいるので、テーピングやサプリメントだったり、食事も本当に万全を期して全てやれることはやろうと思います。治療に関してもそこに合わせてタイミングを上手く合わせて治療していこうと思っています。

ジムに行くときは、有酸素メインですね。筋トレは身体に負担がかかるので、炎症が起きてしまうと何にもならないので心拍を鍛えています。僕は関節に炎症がでてしまうので、そっちにダメージが来るんですよ。関節に炎症が起きると今度は筋肉が固まっていっちゃう。骨折した時に腫れるのと一緒で、関節に炎症が起きると周りの筋肉がガードしようとして固まっていってしまうんです。
その辺の上手い付き合い方をするしかない。

あまり負荷をかけずにエアロバイクやウォーキングをすることで、動かさないよりは動かしている方がいいので、そういう付き合い方をするしかないですね。だからハードなトレーニングというのは、僕の場合は見た目は地味です。

こういう身体になってしまっても、やり方とか考え方で出来るんだよというところを見せれたらいいかな」

ひたすら前向きな姿に、心を打たれるのだ。

シックスデイズのために生きてみる

「生きているうえで何か目標があるからこそ頑張れると思うんですよ。勉強でも受験があるから頑張れるじゃないですか。僕の場合はISDEを目指すことで全日本を頑張れるかなと思ったんですよ。
去年も第1戦は出られなかったけど、なるべくランキング上の方に行けばチャンスはくると思っていたんです。

そのために去年は全力を尽くしましたし、尻上がりにランキングも上がっていった。今年チームに入れたというのも何かの縁だとは思うのですけど、今後も僕の体が動く以上はそうやって何か目標を持っていきたい。今年帰ってきたらまた何か感じるものがあると思うんですよね。そのときにまた目標を定めてまた頑張りたいなと思うんですよね。
なにか目標を立てて頑張ることで、僕は病気と向き合えるかなと思っています。そのためのモチベーションになるかなと自分のなかで思っています」と太田は言う。

太田は、チーム内でランキングは一番上位。さらに、経験も豊富であり、今回のシックスデイズではエースでありリーダーと言うべき存在だ。

「そうなっちゃいますかね。MX、IAの成績からみたら友山君の方がもしかしたら上かもしれませんが、エンデューロのレースの経験でいったら僕の方が上になっちゃいますね。僕と監督の兄貴でチームを引っ張っていけたらいいのかなと思っています」

生きる指針を、エンデューロに見つける。
太田は、今そうやって一歩一歩を踏みしめているのだ。